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僕は絶対、あなた方の子供や孫や、
愛する美しいものを守り続けます。
アースデイは、私たちの日。
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C.W.ニコル
(アースデイ2002東京・実行委員長) |
私はこういう顔をしてますが、自分の生まれた国よりも日本に長く住んでいます。40年前からいました。8年前には日本の国籍をいただきました。日本の男は照れますけれど、僕はこの国を本当に愛しています。北には流氷があって、南には珊瑚礁。50年以上、世界で平和を守りますという約束を守った。もちろん、いろいろとあるよ、わかってる。でも基本的に守った。言論の自由があります。旅の自由があります。宗教の自由がある。しかし、だんだんとこの国も信用できなくなったな、と。10年前にリオデジャネイロで、日本も条約を結びました。国連の。生物の多様性を守りますと。これ、固い約束だった。だけど、ぜんぜんその約束守ってない。守ろうとしてない。あいかわらず。どっちがだいじか。人間かムツゴロウか。この国の生物の多様性、文化の多様性を守る義務があるんだよね。美しいものが失われると、同時に信用も失われる。信用を失ったらどうなるの。銀行を信用しますか、政府を信用しますか、政治家を信用しますか? 信用が失われたらどうなる? 私の家に来てお茶を出します。信用して飲んで欲しい。信用がなかったらどうしますか? 迷子で泣いている子供がいたら、そのとき僕は手をとって「大丈夫か?」といってやりたい。
これはラストチャンス。私ははっきりいって、呆れてるんです。
じつは去年のアースデイで、僕にとって大きな出来事があったんです。私は長い間、日本の捕鯨、それから北極の民族がアザラシを捕って食べることを弁護しました。いまでもそうしたいです。それは動物をとって感謝していただく、それは間違っていないと思うんです。それと同じ意見でない人がたくさんいます。それはそれでいいです。僕は何十年の間、グリーンピースと敵同士だった。しかし去年のアースデイで、ひとりの人と話し合った。このことについては意見があわないけど、これとこれとこれは同じ意見だ。だったら行動しよう。仲直りしたんです。ニコルとグリーンピース、仲直りしたんです。
これから日本、どうするのよ。このまま水を汚すのか、このまま生物の多様性を失ってしまうのか。それとも、あいつちょっと変なやつだけど、意見があわないけど、いいやつだ、と手を組んでやっていくのか。この国の未来、この大平洋の未来、この地球の未来。手を組んで、やるか、やらないのか。
私が愛すべき国でたくさんお金を儲けました。しかし銀行にはほとんどお金はありません。全部、森に使ったんです。その森での生物の多様性は年によって良くなっています。その森はたぶん今年、やっと認められるでしょう。長野県は財団で認めるでしょう。(*) 僕は裸になります。僕の裸は見たくないよな(笑)どうしてかって、僕は日本人に信用されたい。
森は大事でしょう。熊は大事でしょう。トンボは大事でしょう。どっちが大事かじゃないんです。僕か熊かではなく、どっちも大事なんです。あなたの子供か、私の子供のどっちが大事か。どっちも大事なんです。
僕は森を寄付する。そして生き残っている時間、もう62だけどね、僕はこの美しい地球の自然のために、闘い続けます。だけどね、独りで闘っているとね、負けるよ。みんながこれが美しい世界、これが大切と思ったらね、信頼されたかったらね、行動してください。どれほど大事か。そしてメディアがどれほど大事か。
さきほど、メディアのことあんまり言うなといわれましたけど、メディアの人達、あなたたちはね、すっごいパワーがあります。使って。本当に使ってください。そして僕は絶対、あなた方の子供や孫や、愛する美しいものを守り続けます。アースデイは、私たちの日。
(2002年 2月25日・タワーレコード渋谷 アースデイ2002プレス発表会にて)
構成・谷崎テトラ
(*)ニコルさんは長野県の黒姫で「アファンの森」という森をもっていて、それが今年財団化される。
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C.W.ニコル (Clive Williams Nicol)
作家・ NPO法人アファンの森基金理事長
1940年、イギリスの南ウェールズ生まれ。 17歳で家出をしてカナダに渡る。カナダ政府の漁業調査局、環境局の技官としての北極地域の調査は12 回に及びました。 その間1962年に初めて来日します。 1967年には国立公園建設の技術顧問としてエチオピア、シミアン高原へわたりますが、1975 年には沖縄海洋博にカナダ館副館長として来日。 1978年以降、作家として日本での活動を主とし定住します。長野県黒姫山の麓に住み、自然とのかかわりを大切にしながら、さまざまな文化活動、執筆活動を行ってきました。 1995年には、日本国籍を取得しています。
主な著書は、「風を見た少年」「ティキシィ」「勇魚」等。最近では河出書房新社よりシリーズ“C.W.ニコルの世界”として、珠玉の旧作群から「自然記」「海洋記」「森と海からの手紙」「 私の自然生活」「ザ・ウイスキ−・キャット」が新版となって刊行されています。
ウェールズ生まれの僕が、
日本で森林保護団体を作ろうと思い立ったわけ
C.W.ニコル
初めて日本に来たのは1962年でした。宣教師でもなく外交官でもない、ましてや教師でもない僕でしたが、この国に何かを学びに来たのです。沖縄でカナダ政府の一員として滞在していた時期から、この国を訪れるたびに何かを学びたい、そして勉強したいという気持ちは募るばかりでした。いつの間にかこの地での暮らしは、故郷、そして歩き続けた数々の国で過ごした年月を越えていました。この国、そしてそこに住んでいる人たちは僕を心から受け入れ、そして多くの喜びを与えてくれました。僕を導き、守り、そして市民権までをも与えてくれたこの地に何かお返しが出来たらと思うのは当然のことでした。でも一体僕に何ができるのでしょうか?しばらくの間は、僕はこの気持ちを文章にしこの国やウェ−ル ズ、そして世界の森が弱っていく姿をこの眼で見てきました。そのような中で、素晴らしい、そして生物の多様性に富む自分たちの森に日本の人たちが眼を向けなくなっている姿を感じることが多くなってきました。
しばらくの間は、僕はこの気持ちを文章にしたり話してきたのです。今から16年前、この気持ちを形にしようと思い立ったのです。僕が大切に守ろうとした最初の地は、ウェ−ルズの言葉で”アファン”、谷を意味する名前を付けた森でした。ここは、僕が日本にお返ししたいと考えた土地です。木々、植物、鳥たち、虫そして多くの生き物たち、それにきれいな水源、美しく健全でそして生きものたちの生命力にあふれた森、僕はこの森を守っていきたい。ありがとう日本、心からそう思う。
(アファンの森ホームページより http://www.afannomori.com) |
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