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令和6年能登半島地震支援チャリティイベント「フェーズフリー。それは生命を守るライフスタイル」開催決定!!

テーマ・概要

「Phase Free(フェーズフリー)」命を守るライフスタイルへ

能登半島地震支援から見つけた新たなキーワード
「Phase Free(フェーズフリー)」をテーマに、
今後の 能登半島地震支援活動について
巨大地震の発生リスクが高まる中、これからのライフスタイルについてアースデイらしい視点で、学び合います。

タイトル:
アースデイ東京オープンミーティングvol.31
令和6年能登半島地震支援チャリティイベント
「フェーズフリー。それは生命を守るライフスタイル」

日時:
2024年2月16日(金)19:30-22:00(19:00 OPEN)

会場:
LOFT9 SHIBUYA
所在地: 〒150-0044 東京都渋谷区円山町1−5 1F キノハウス

[参加費]
・一般チケット
2,500円(1ドリンクチケット含む)
・実行委員チケット
2,000円(1ドリンクチケット含む)
・学生チケット
1,500円(1ドリンクチケット含む)

[タイムテーブル]

19:30- [オープニング] 黙祷+Yae LIVE
19:45- [TALK①]能登半島地震支援活動・現状報告
20:30- [TALK②]巨大地震の発生リスクが高まる中、これからのライフスタイル「Phase Free(フェーズフリー)」について、ゲストから学ぶ
21:15- [TALK③]アースデイ東京から3つの支援アクションへの協力のお願い

メッセージ

能登半島地震支援ボランティアベース OPEN JAPAN メンバー木村とーるさんから
「ここにいるみんなは普段から災害に関する注意を払い、自然に近い、ナチュラルな生き方をし
てるから、食以外で今の生活とさほど変わりはない。ということは、こんな状況下でも生きてい
ける力がある。自然と共に生きるということは、自分の命を守り、大切にすることにつながっている」

プログラム

0)亡くなった方々のご冥福と被災されている方々の復興を祈る(15min)

・1分間の黙祷で被災者におもいをよせる
・ Yaeからの歌で能登半島におもいをはせる

1)能登半島地震支援活動・現状報告(45min)

・アースデイ東京より。
・能登町を拠点に支援活動をするオープンジャパンより。
・若者被災地支援団体わかものとより。

[登壇者]
・OPENJAPAN緊急支援プロジェクト 肥田ひーさ/木村とーる(オンライン)
・わかものと 副代表 清水涼太
・アースデイ東京ユース 上野我唯(オンライン)
・アースデイ東京 河野 竜二

2)巨大地震の発生リスクが高まる中、これからライフスタイル「Phase Free(フェーズフ
リー)」について、ゲストから学ぶ。(45min)

[登壇者]
・一般社団法人フェーズフリー協会 代表理事 佐藤唯行
・防災アナウンサー×環境省森里川海プロジェクトアンバサダー 奥村奈津美
・編集者、CAJ事務局長、株式会社ヨンロクニ代表 滝沢守生

3)アースデイ東京から3つの支援アクションへの協力のお願い。(15min)

・募金アクション
・ボランティアアクション(長期・短期)
・後方支援アクション

[全体司会]
・Yae
・河野 竜二

テーマについて

フェーズフリーって知ってる?

フェーズフリーとは、日常と非常時がシームレスにつながるライフスタイルのことです。

2024年元旦を襲った能登半島地震には驚きました。お正月だろうと関係なく、いつ何時訪れるかわからない首都直下型、南海トラフなど、巨大地震の発生リスクが高まる地震大国ニッポン。それだけでなく、気候変動の影響などもあり、近年、大きな自然災害も多発してきています。そうした災害が起こる度に「日頃からの心構えと災害へ備えが大事」という、忠告がなされますが、実際はどうでしょう?家の中、会社や学校で、あるいは外で買い物していて、突然の巨大地震、あなたはその時、準備できてますか?

「家に備蓄しているので大丈夫」という人も、出かける時、常にあの重くて(ダサい)防災グッズを一式、持ち歩く人はほとんどいないのが現状なのではないでしょうか?となると、「いざというときの心構え、災害へ備え」が実際役立たない可能性が大きくあります。

アースデイ東京が、今回の能登地震支援活動の中でで学んだこと。それが「フェーズフリー ~日常と非常時がシームレスにつながるライフスタイル」です。フェーズフリーなライフスタイルとは、いつもの暮らしを豊かにしながら、もしもの際にも生活や命を守れるライフスタイルです。

例えば、服装。山登りやトレッキングなどのアウトドアファッションを取り入れる。突然の降雨あっても、濡れにくい、乾きやすい、さらに冬場であれば、寒さを凌ぎ、暖かさを保つジャケットやパンツやブーツ。シャツや下着、靴下なども、すぐ乾くモノ。さらに可能であれば抗菌仕様のモノをセレクト。また両手が塞がらないように、ザックを定番バッグに。もちろんマイボトルやバッテリーはもちろん、普段使いの持ち物も、災害時、このモノは被災時に役立つか?

金額やデザインと同じように、購入基準に加えてみることも、フェーズフリーなお買い物になります。普段から、そういうファッションを身につけることで、生き延びる可能性や快適に避難生活を送ることの可能性を増やします。また食べ物の場合はどうでしょう?震災が起きると、全国から支援物資が届きますが、非常食の多くは、乾パンや栄養食やレトルトものやカップラーメンなどですが、普段は、毎日食べませんよね。(えっ食べてる?)

ボランティアベースで聞いた話です。
「カップラーメン届けに行ったら、うちの味噌汁飲んで漬物食ってけ!と言われた事もある。山で暮らす高齢者の方々は自給自足が普通。味噌や醤油、梅干しや漬物など、日本で昔ながらに毎日食べる保存食こそ、実はフェーズフリーなんだよね」

なるほど、そういうことなんだ!

週末は、家族や友達、仲間たちと集まって、アウトドアな自然体験を週末に取り入れることによって、楽しくワイワイやる。断水になる可能性が高いので、なるべく水が少なくて済むように普段のライフスタイルで習慣づけておく。
排水が壊れることも多いので、垂れ流しになっても環境に影響の出ない洗剤に変えてみる。屋外フェスで持ってくマイ食器を普段から使いつつ、いつも持ち歩いてみる。

などなど

「フェーズフリー」をコンセプトに、ファッションや食べ物だけでなく、家や電気などなど、自分の暮らしをそのように見直していくと、普段の生活そのものが、いつの間にか災害に対して強くなっていく。

巨大地震の発生リスクが高まる地震大国ニッポン。いざの時に備えるのではなく、フェーズフリーで、日常と非常時をシームレスにつなげよう!

登壇者紹介

佐藤唯行
一般社団法人フェーズフリー協会 代表理事

社会起業家/防災・危機管理・地域活性アドバイザー/フェーズフリーファウンダー
1971年生まれ。『災害軽減(防災)工学』専攻による工学修士(96年)。国内外で多くの社会基盤整備および災害復旧・復興事業を手掛ける。災害に関する研究活動を開始した大学4年生(93年)以来、世界中で様々な災害が同じように繰り返されてしまう現状を目の当たりにしてきた。その経験・研究に基づき、”防災”という価値を市民一人ひとりに持続的に届けるには公共のサービスや市民のボランティアだけではなく、ビジネスが必要であることを痛感。そこで防災を持続可能なビジネスとして多角的に展開、その一つとしてフェーズフリーを発案し世界ではじめて提唱、フェーズフリーの推進において根源的な役割を担っている。フェーズフリー協会ほか十数団体の企業等の代表を務める。

奥村奈津美
防災アナウンサー×環境省森里川海プロジェクトアンバサダー

1982年 東京都生まれ。立教大学社会学部社会学科卒業。
広島、仙台で地方局アナウンサーとして活動。その後、東京に戻りフリアナウンサーに。TBS『はなまるマーケット』で「はなまるアナ」(リポーター)を務めるほか、
NHK『ニュースウオッチ9』や『NHKジャーナル』など報道番組を長年担当。
東日本大震災を仙台のアナウンサーとして経験。以来12年間、全国の被災地を訪れ、取材や支援ボランティアに力を入れる。防災士、福祉防災認定コーチ、防災教育推進協会講師、防災住宅研究所 理事、東京都防災コーディネーターなどとして防災啓発活動に携わるとともに、環境省 森里川海プロジェクトアンバサダーとして「防災×気候変動」をテーマに取材、発信中。
「サステナブル防災」という言葉を作り、防災×SDGsの普及活動に力を入れる。4歳児の母。

能登半島地震では、発災1週間から現地入り。自衛隊のお風呂には入れない要配慮者の方々の入浴サポートプロジェクト「テルマエ・ノト」を立ち上げ支援活動中❗️
https://natsumiokumura.com/noto-shien/

滝沢守生
編集者、CAJ事務局長、株式会社ヨンロクニ代表

1968年、東京生まれ。鎌倉市在住。学生時代から長年にわたり、ウラヤマからヒマラヤ、果ては南極まで、国内外で登山活動を展開。その後、専門出版社の山と渓谷社で雑誌や書籍の編集に携わったのちに(株)ヨンロクニを設立。アウトドアニュースサイト『Akimama』の配信運営や媒体編集のみならず、キャンプよろず相談所を主宰し、フジロックフェスティバルをはじめ、朝霧JAMやGO OUT CAMPなど、数多くの野外イベントの制作、運営を行なう。コンサベーションアライアンス(CAJ)事務局長。日本山岳会会員。

Yae
半農半歌手 / シンガーソングライター

東京生まれ。2001 年に歌手デビュー。NHK みんなのうたや人気ゲームソフトの主題歌などを歌唱し活躍。環境イベントなど国内外での音楽祭に参加。家族5人とともに自然豊かな里山「鴨川自然王国」で、農的暮らしを営む。故藤本敏夫・歌手加藤登紀子の次女。

木村 とーる

能登半島地震支援ボランティアベース OPEN JAPAN メンバー
Wilderness Village 四万十塾 塾長
地球の時間で旅をしよう!!をモットーに一年の半分以上は野外で過ごすアウトドア派。
信州北安曇野の山間部でエコビレッジ構想をいだく遊学舎とであい、自らビレッジの山小屋で環境にやさしい暮らしを実践。水道も電気もない暮らしからローエネルギーでかつ快適に暮らす方法を数々カタチにする。
転機となる’95年の阪神大震災では現場に駆けつけボランティア団体神戸元気村のたちあげに従事。
震災以前からの経験を活かし、四万十川でのカヌートレックを通して環境問題・永続可能なライフスタイルを提案するためのプロジェクト”四万十塾”の塾長として現在に至る。
衣食住といった暮らしの身近なところから地域やグローバルな視点まで、様々な活動を展開、各地でおこる災害時には救援活動を行う。
’11年の東日本大震災直後に、現地入りし全国の仲間、他ボランティア団体・個人と協力連携し、ボランティアセンター【ボランティア支援ベース絆】後の【一般社団法人OPEN JAPAN】を共同代表として運営する。現在は、顧問を務める。
20周年を迎える四万十塾では四季を通してカヌーで最小限の生活道具を積み込んで4泊5日のカヌートレックをメインに川を旅している。四万十塾のカヌートレッキングでは、災害時に、役立つアイデアや体験がいっぱい。
全国の川を神出鬼没に飛び回る飛び豆ツアーでは、参加者はカヌー歴を問わず川旅の醍醐味を味わせてくれる。身長193cmの偉丈夫は食物廃油を燃料に、BIOディーゼル車にて今日も移動中。
著書:「四万十塾の焚き火料理塾」(エイ出版)
今まで編み出してきた多くのレシピの中から秘伝の123品のレシピを紹介した「家庭でもアウトドアでも楽しめるレ シピを展開。アウトドア初心者も上級者も楽しんで出来る料理をまとめた一冊です。

WildernessVillages 
四万十塾公式ホームページ

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清水涼太(しみずりょうた)

わかものと副代表 武蔵野大学アントレプレナーシップ学部
2002年8月8日生まれ。前橋市(旧富士見村)出身の21歳。武蔵野大学アントレプレナーシップ学部3年。
元日にゼミのメンバーと能登の震災復興を学生主体で行う団体「わかものと」を立ち上げ、副代表を務める。
また、フィリピンでのボランティアの経験を経て、フィリピン共和国セブ島で貧困層の子どもたちへの支援活動を行う予定。また2024年1月に団体(任意団体Sora&Ryo )を立ち上げ、国際協力の観点から地域活性化に貢献しようと活動中。

河野 竜二
アースデイ東京事務局長

神奈川県出身、湘南在住。音楽フェスや地域活性イベントのサポートを行いながら、2018年から日本最大級の環境イベント「アースデイ東京」の事務局長に就任。地元湘南では鎌倉の農業を新たな形で継承するコミュニティ型農業支援「ニュー農マル」や、鎌倉腰越にある海の見える宿「koyurugi stay」のプロデュースなどを行い、持続可能な社会の実現に向け奔走している。

上野我唯

アースデイ東京ユース代表。武蔵野大学アントレプレナーシップ学部1年。マレーシアのボルネオ島で育ち、高校時にはオリジナル絵本の制作、フリースクールの先生、著書『わたしたちからはじまるSDGs』の企画協力に携わる。現在は環境教育を切り口に中高生の活動家を増やすため、活動中。

 学生団体わかものと

「わかものと」は能登地震での震災復興を学生主体で行う会です。
学生150人の力で、柔軟で迅速な支援を展開します。
また、現地のニーズに応え、学生ならではの異分野が繋がり支援をする「連なり力」
若者ならではの「マンパワー」
すぐに行ける「即戦力」
それ以外にもオンラインでできるボランティアをはじめ、支援をしていき、一時的なボランティアも行いますが、その後の長期的な支援を見据え、活動しています。
支援者の温かい協力で、学生たちの未来志向な活動が持続可能なものに変わります。ぜひ、能登の未来を共に築くためにご支援をお願いします。感謝の気持ちを込めて、みなさまの協力に心より感謝申し上げます。

一般社団法人OPEN JAPAN-旧ボランティア支援ベース絆-

私達、一般社団法人OPEN JAPAN-オープンジャパン(旧ボランティア支援ベース絆)は、日本全国にネットワークを持つ団体や個人の集まりです。 2011年3月11日から約1週間後、震災直後から東北入りしていた、過去の災害地でも行動を共にした仲間が石巻に集結しました。石巻市南境にある集会所を借り、一つ屋根の下で各団体、各個人が連携を取り活動をスタートしました。それぞれの得意技を生かしたボランティア活動で着々と地元の方々と繋がりが生まれてきました。そしてそのコミュニケーションの中から生まれてくるニーズに対して、横の連携をとりあいながら対応をしてきました。

東日本大震災後も、それぞれの団体や個人を通じた、人と人との繋がりで毎日多くの仲間たち、ボランティアがOPEN JAPANと関わり続けてくれています。誰かの友達がベースにやってきて、その友達がまた友達を連れてやってくる。一度帰った人が1ヶ月後にまた来てくれる。そんな連鎖を繰り返して、わたしたちOPEN JAPANは活動を続けています。

重機を使った瓦礫や土砂の撤去作業も行ないます。床上浸水された民家では床を剥がし、必要であれば床下に潜り、床下の泥をかき出し清掃、消毒まで行います。避難所生活を送っているお母さんたちと一緒に炊き出しします。壊滅的な被害を受けた小さな漁港の漁師さんたちと牡蠣の養殖したりもします。カヌーに乗って漁船が入っていけない浜や、海に浮かんだ瓦礫の撤去、漁具の回収もします。常にそこで生活する方々の気持ちに寄り添った支援をその場その場で考え、話し合い、形にしていきます。

大きな組織的なボランティア団体と違い、柔軟な対応がすばやく臨機応変にできるというメリットがあります。わたしたちは地元の方々と話をします。そのなかで色々なことを教えていただきます。大切なご家族を亡くされたこと、家が流されてしまったこと。そして、災害前とまではいかなくても、今よりも少しでもよい状態になりたいと懸命にがんばっている姿を見てわたしたちが励まされることもたくさんあります。誰かのお役に立ちたいわけじゃなく、知り合ったひとりひとりの方の喜ぶ笑顔が見たい。私たちの原動力はその絆を大切にしています。